レーシングカーを勉強するためのチャンスを掴んで渡英、まずはレーシングカーコンストラクター(レーシングカー設計・製造メーカー)であるGRDに入社し、キャリアをスタートさせました。このGRD(グループ・レーシング・デベロップメント)は、名門のF1チームとして知られたチーム・ロータスがF1参戦に専念するため、市販用レーシングカー製造部門を切り離して別会社として発足したものです。結果、スタッフの多くはロータス時代の経験豊富なメンバーで構成され、高度な技術がそのまま受け継がれることとなりました。ちょうどこの時期はレーシングカーシャシーの転換期にあたり、パイプフレームからアルミモノコックへと構造や使用する材料において変化を遂げた時代であったため、レーシングカーそのものの仕組みを学ぶ機会を得ることになりました。
その後、同社のレーシングサービス部門・GRSに転籍、ヨーロッパF2選手権に参戦するチームのメカニックとして実戦の場でセッティングやメンテナンスを習得。さらに、F1コンストラクターの名門マクラーレン・レーシングを率いるマクラーレン・グループの会長ロン・デニスが興したプロジェクト3に招かれ、ヨーロッパF2シリーズを転戦します。さらに翌年は、マクラーレン・レーシングの前身と言われるプロジェクト4から3年間にわたり、同シリーズを転戦。メカニックとして車両改良やセッティングに留まらず、レース戦略に至るまで多くのことを学び、帰国しました。日本に戻り、純国産のF1マシンを手がけたコジマレーシングに入社。日本GPでは「KE009」のチーフエンジニアを務めた他、国内レースではチーフメカニックとして実績を重ねてきました。
レース界での貴重な経験を基に日々仕事に邁進していますが、GRD時代、チーフエンジニアに言われた「どんな些細なことでもベストを尽くし、100%に近づける努力をする事。」という教訓は今も仕事の真髄として息づいており、渡英中に学んだ事すべてが自らのキャリアとして他の何ものにも代え難い財産となっていると自負しています。